この星で生きていく

いのちに届く言葉

『弱さのちから』 若松英輔

『弱さのちから』 若松英輔

わたしは自分の弱さを誇ることにします。
……わたしは、弱っている時こそ、強いからです。

(「コリントの人々への第二の手紙」/『新約聖書』フランシスコ会聖書研究所訳注)

 

 

「弱さ」こそが、他者との信頼を深める

インターネットやSNSの発展によって、誰もが自由に発言できる時代になりました。各自がメディアを持ち、これからは一人一人が一国の王様のようになって、自らを表現していくようになると思います。

何を表現するのか、そのことをずっと記事で書いてきました。自らの永遠性に触れ、それを表していくことが仕事にもなっていくこと。仕事は、金銭を手に入れる手段では終わらない何かが潜んでいますが、その何かこそが仕事であり、AIやVRが日常的に普及している未来には、その何か以外は仕事になり得ません。

 

ですが、誰でも自由に発信できると同時に、よく考えずに発言をしたり、印象操作をすることも可能で、信頼にたる言葉が少なくなっているようにも思います。言葉にはその人が歩んできたものが込められているので、真に力のある言葉は、受け取る者の奥深いところに響きます。

 

若松英輔さんの新刊、『弱さのちから』を読んでいました。

そこでは、緊急事態宣言が発せられる以前からを含めた、もっとも緊張感が高かった時期に向き合ったご自身の弱さについての経験、詩や「おもい」などが綴られています。

あえて「おもい」と平仮名で書いたのは、この本の中では「思い」だけではなく「念」「恋」と書いても「おもい」と読むことが、重要なテーマとなって語られているからです。

 

以前の記事で、コロナウィルスのコロナは太陽を示し、太陽とは意志や理性の象徴であると同時に、格差や権威主義といった影も生むという話をしました。

そして、宇宙意識やスターシードの話題とともに、これからは強いリーダーシップを発揮する人や組織に追従して生きるのではなく、個々人が個性化をし、自ら光を放ち、それでいて影を生まない「恒星意識」で生きる時代だという話もしました。

太陽の意識から恒星の意識で生きるために、私たちは自らの弱さを認め、弱い自分を表現し、他者の弱さも受け入れて、互いに信頼やつながりを育んでいく必要がありました。復興ではなく新生、これを今、私たちはしようとしているのです。

 

若松英輔さんは、「弱さを克服し、強くなることが善とされてきたが、それは本当だろうか?」、このように問いかけています。

そして、私たちは強くあるために勇気を振り絞ろうとしますが、そうやって強がろうとしても勇気は湧いてこないこと。自分の「弱さ」と向き合いつつ、大切な人のことを思ったとき、どこからか勇気は湧出してくること。

先行きが見えない日々を送る中で、その「おもい」を強く感じたそうです。

 

教皇フランシスコも、何のために生きるかはそれほど重要ではなく、誰のために生きるかが大切だということを言っておられましたが、コロナ禍で私自身も、過去を振り返り、今の自分の弱さを感じ、どのような未来になっていって欲しいかを思い、誰のために生きるのかということを考えていました。

そして、注目をしている人たちの活動や発言にも、同じようなことを感じました。

 

あったらよいもの、なくてもよいものがあります。

コロナ禍で、多くの人がなくてもよいものを手放しつつあります。ですが、どのような時代になっても失ってはならなないものがあり、その一つは「信頼」です。

私のアカシック・リーディングの先生も、「これからの時代は信頼がお金の代わりになる」と言っていましたが、お金というのは信頼がない時代の通貨のようなものでもありました。未来が不安、つまり信頼できないから貯蓄をしたり保険に入ったりしますよね。

 

今も、恐れや不安を感じて過ごしている方が多くいると思いますが、今回はこの世界を本当によりよく変えていくための魔法、「弱さから生まれるちから」について、書いていこうと思います。

これから、社会も、生き方も、働き方も教育も、どんどん変わっていきますよね。

変わることに感傷し悲しむのは、変わることを拒否したいからですが、変わることに感動し喜ぶのは、変わることを受け入れるからです。

変わることを恐れると、身分や地位、業績や財産といった社会生活で身につけたものにすがってしまいますが、このような移ろいゆくものではなく、「決して奪われないひとつの価値」を大切にすることができれば、行く手の不安や恐怖をかいくぐって行くことができます。

 

決して誰からも奪うことができない価値とは、自分のために生き続けてくれる命のことです。

命はどのようなことがあっても奪われてはならないものです。お金、家、友人、仕事、愛……すべてをなくしたとしても、決して私から奪うことができないもの、それは私は今生きているということです。

弱さの中で、それでも私を生かし続ける命があります。どれだけ自分を傷つけても、大切にしなくても、死ぬまで懸命に生かそう生かそうと無償で働いてくれます。そして、自分を生かしてきたものは、衣食住をもたらしてくれた人たちだけではなく、どうしようもなく弱った時、大きな罪を犯した時、それでも見捨てないでいてくれた人たちの存在、その時かけられた言葉、本当のいのちに届く言葉です。

かっこいい言葉ではないことが多いのです。ただ、「待っているから」の一言だった時もあります。言葉にならない寄り添いだったこともあります……

 

 

若松英輔さんは、ミヒャエル・エンデの『モモ』の一節を紹介していました。

 

モモは脅威となっている「灰色の男たち」から逃れようとする。だがふと、これまで「逃げまわっていたのは、じぶんの身の安全をはかってのことで」あり、また「じぶんのよるべないさびしさや、じぶんの不安のことだけで頭をいっぱいにしてきた」ことにも気が付く。あまりに利己的であることに気が付いた途端、どこからともなくモモにまったく違う現実を照らし出す光が訪れる。本当に危険が迫っているのは、自分ではなく、仲間たちであることをまざまざと感じ始める。
(『弱さのちから』/はじめに)

 

モモは、不安と寂しさが激しくなり、極に達したときに、その感情が正反対のものに変わります。不安が消え、勇気と自信がみなぎり、この世のどんなおそろしいものが相手でも負けるものかという気持ちになるのです。

コロナ禍で、自分の弱さをとことん感じるということが、とてつもない恵みだったのだと私は思いました。このブログでも、何度も弱くて情けない自分を表してきました。自らの弱さを痛感するたびに、同じように苦しむ誰かを想う気持ちが湧いてきました。

 

世界は生活ばかりか、人生もこわばってしまいがちな状況にあり、人間同士が恐怖心を煽り立てるようなおかしなケースも続いています。

恐怖というのは、勇者のような強いものでさえも、力を発揮できなくしてしまうものです。恐怖は人間を利己的にし、短絡的にし、服従的にさえしてしまうものですが、だからといって恐怖と戦ってはいけない、と若松さんは言います。

このような危機の時は、思考や思索だけではなく、「思念のちから」をよみがえらせなくてはならないと。

 

「思念」は、「おもひねんず」という言葉で、「念う」はやはり「おもう」と読みます。

念願、祈願というように、心の表層ではなく、心の底で「おもう」ことを指します。「思い」は言葉にすることもできるのですが、「念う」はほとんどの場合、言葉にはならないものです。

言葉にはならない自分の「念う」を感じとるとき、そこに私たちは一条の光を見出すのではないか……それが、浄土真宗の開祖・親鸞の言葉にも表れています。

 

「念仏申さんと思ひ立つ心の起こるとき、即ち摂取不捨の利益に預けしめ給ふなり」。

意訳をすると、「念仏申し上げる、と思う心が、どこからともなく起こるとき、人は誰一人見捨てることなく、万人を救おうとされている仏のはたらきに包まれる」という意味なのだそうです。

 

 

 

本当の言葉を紡ぐ人たち

野村道場 野村忠弘 篠原信一 井上康生

 

私は柔道が好きなのですが、Youtubeで野村忠宏さんが「野村道場」という番組をつくっていて、世界のトップたちのトークが聞けるので楽しく見ています。

アスリートの人たちは、自分の弱さに打ち勝って目標を勝ち取るために素晴らしい力を発揮しますが、Zoomで皆さんが話しているのを聞いていると、自粛期間中にとても不安になったこと、これからどうしようか悩んだこと、立場上のジレンマなど語られています。

そこで、子どもたちのために何かをしたいという思いを感じたと野村忠宏さんは言っていましたが、自粛で練習ができない子どもたちを励ますために企画などもしていて、私はそれがお気に入りです。

 

野村道場のYoutubeチャンネルはコチラ

「篠原信一 / 野村忠宏 / 井上康生 柔道家の本音トーク」

篠原信一さんが登場するといっきに笑いがあふれ出しますね。
野村忠宏さんの先輩いじり、井上康生さんの穏やかで寛大な雰囲気などが楽しめる、贅沢な番組です。

 

 

こちらは、一人打ち込みをしているところを審査して、優秀賞をとった子どもたちとリアルタイムで話しているものです。

 

子どもたちに話している時、いいところだけではなく直した方がよい部分などをアドバイスしているのですが、皆さん子どもに本当に真剣で、子どもたちと未来の柔道のためにこんなに大人たちができることをしてあげたいと向き合っているところを見ると、柔道をしていなくても励まされます。

野村道場 一人打ち込み選手権

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもは、命の塊、可能性の塊ですよね。

だから、こうして時代が移り変わっていくときに、大人たちが自分の恐れや不安から子どもに接して、子どもたちのプロセスを妨げるような邪魔をしてはいけないと思うし、同時に子どもたちは大人たちの助けがなくては生きていけないので、愛情をいっぱい受けて、育っていって欲しいです。

 

自分のできることで、誰を勇気づけたり励ましたりできるだろう。

衣食住に恵まれていない人々、虐待を受けている子どもたち……本当に弱い人たちは、目に見えない所にいます。普通に暮らすことができていても、身体だけではなく心に見えない傷を負った人たちもいます。

 

弱音を聞くと、人は自分にも弱いところがあることに気が付く。そこを直視するのが嫌で、弱音を口にする人を遠ざける。だが、そのいっぽうで、ひとたび「弱く」なってみなければ見えない世界の深みがあることを、今私たちは、日々、実感しているのではあるまいか。「弱い人」は何もしないのではない。むしろ、他者の「弱さ」を鋭敏に感じ、寄り添える人でもある。私たちは「弱い人」たちを助けるだけでなく、「弱い人」たちにもっと学んでよい。「弱い人」の眼に映る世界、それに言葉の姿を与えてきたのが、哲学や文学の歴史にほかならない。「弱い」人たちとのつながりが生まれる「場」、そこがほんとうの「復興」の起点になっていくように思われてならない。
(『弱さのちから』/「見えないものの復興」より)

 

 

そして、「言葉のともしび」という詩の中で、

 

試練のとき
行くべき道を
照らしてくれる言葉
あたまを刺激する
言葉ではなく
いのちに届く言葉

 

このような一節がありました。

 

私は生きている喜びや、希望や情熱、弱さの深みに触れていく勇気、今ここで幸せになる技術、こういったものを発揮できないときも多くて、だからこそ「いのちに届く言葉」を探し求めてきたのだと思います。

自分の過去を責めるわけではないのですが、やはり子どもたちに私のような生き方の選択をしないで済むようになって欲しいなと思うんです。

あの血反吐を吐くような孤独の痛みは、感じなくてもよいものです。人生なんてあっという間です。若い頃なら尚更です。たくさん笑って、泣いて、怒って……この世に生まれた喜びを体験して欲しいのです。

弱い自分も出せて、本当に困った時は胸を開いて誰かに相談することができること。素直にヘルプを出すことができる心。周囲に話せる人がいなくても、受け止めてくれる人のいる社会。大きな過ちを犯したとしても、新しくやり直せる社会。心を病んでも、人生に絶望しても、むしろ安心して病むことのできる社会……

 

自分以外の誰かにならなくてもいい世界。

 

最後に、少し長いのですが、アントニー・デ・メロの『ひとりきりのとき人は愛することができる』より、引用します。

コロナ禍で、ひとりきりになって、人を愛する気持ちを深いところで感じて、デ・メロの言葉を改めて実感しています。

 

子供の無邪気さが失われていくのには、もう一つ、もっと巧妙な手段がある。子供がだれかになりたいという願望に冒されたときがそうである。自然が意図した音楽家や、料理人、機械工や、大工や、庭師や、発明家にならずに、大群衆が全身全霊で別人になろうとしているさまを見よう。成功者、有名人、権力家になりたい。静かな自己充足ではなく、自己高揚、自己拡張をもたらす何者かになろうとしている。目に映るのは、無邪気さを喪失した人ばかりだ。彼らは自分らしくいることではなく、自分の目にだけでも自分を高くし、自分を見せびらかすことを選んだ。自分の日常生活を見てみよう。だれかになりたいという願望に汚染されない思い、言葉、行いが一つでもあるだろうか。たとえそれが自分以外のだれも知らない霊的成功や聖人になりたいという願望だとしても。子供は、無垢な動物のように、その本性に身をゆだねて全く自分らしくありのままであり、成長する。

無邪気さを保ってきた大人も子供のようで、だれかになりたいとか他人からよく見られたいなどとは思いもよらず、自然や運命の衝動に身をゆだねる。ただし、子供と違って、このような大人が頼りにするのは本能ではない。自分の内外にあるあらゆることに対する絶え間ない気づきに頼る。その気づきが彼らを悪から守り、野心旺盛な自我の計画した成長ではなく、自然が彼らのために意図した成長をもたらす。

 

 

Sitara

 

 

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