人生の重要な選択について

人生の選択について

私たちは日常生活の中で、ほとんど何らかの選択をしています。

この時間は何をしようか、この仕事は昼までに片付けるべきか、夕飯は何をつくろうか、あの人の話に応えようか、パソコンを買い替えたいけれどどのメーカーのものがよいか。
もう少し大きな選択になると、車や家を買うとき、転職、結婚のときなど、私たちはさまざまな選びをしています。

とくに人生に関わる選びは重要です。自分自身にも周囲にも、大きな影響を与えるからです。人生に関わる大きな選びには、このようなものがあります。

  • ・職業の選択
    (転職希望なら、自分の本質的な才能とその職種が合っているか、会社と自分との相性や、会社が本当に望む人材も気になります)
  • ・結婚すべきか独身のままで生きるか
    (自分と相手が今どのような状況で、本当に相性が合うのか)
  • ・今の仕事を辞めるべきか
  • ・仕事をストップし、家庭と離れても病気の治療に専念すべきか
  • ・この病気は回復するのか、さらなる治療をすすめた方がよいのか
  • ・引っ越しをした方がよいか

このように、人間関係、仕事、病気、お金、家族に関わるような重要な選びをするときには、
いくつかの役に立つ方法の中から、より自分の深いところに響く選び方をしなくてはなりません。

しかし、より自分にふさわしく生きがいを感じられる人生のために選択をするには、心が静まっていることが必要です。
心の中で、自分が真実何を考え、何を感じているのかを、正直に見つめなくてはならないからです。

ところが、忙しい日常や、あらゆる情報が飛び交う現代では、
静かに自己を見つめるということが難しく、そのような環境に恵まれている人はうらやましい環境にいるのかもしれませんね。

  • 感情が大きく揺れているとき、利害損得の打算が波打って働いているとき、
  • どれが自分の真の希望なのか、どれが自分の真実の気持ちなのか、わからないことが多い方が普通です。

人間は成長していく中で独特の個性を育み、魂と心と身体が絶妙に絡み合ってハーモニーを奏でると、実に美しい生きがいを見つけることができます。
ですが、現実の社会は厳しいところがあり、個性が自然に美しく花開くこともあれば、花開かせることができずにいる場合もあります。

また、素直であたたかい愛を築きながら生きていくことは異性・同性に関わらず人間に必要なことですが、生まれてから多くの人に愛され、
疑う必要もなく、自然にのびのびと育つことができた人と、本人が望んだわけではないにしても、幼い頃から厳しい環境で育ち、豊かな愛の体験に恵まれずにいた人とでは、
潜在意識の世界では、愛に対するイメージに相当大きな違いがあることもあります。

ヒーリングスペースRINで行っているアプローチには、大きく分けて2種類あります。
これらは、後悔のない生きがいを感じる人生を生きたいと望む人たちのために行っています。

現代は大きく時代がシフトし、その変化に急速に適応していくことが求められている時代です。

自分の人生において何を選択したらよいか、何を行ったらよいか、そのことを知るために意識を内側に向けること、
弱さを消そうとしないこと、不安を認めること、魂のヴィジョンに導かれること、それらのアプローチを通して、見えてくるものを紹介します。

心理占星術によるリーディング

メッセンジャー・オブ・ライト

占星術は万物照応の観点から、個人的な才能や資質、適職などをリーディングする手法です。
多くは生まれた時の日時や場所を用いてリーディングをしますが、今現在その人が不安に思っていること、誰かとの関係性、仕事との相性、特定の質問などには、ホラリーやコンサルテーションといった「宇宙に問いかける」手法によってリーディングを行います。

古いとされているリーディング方法ですが、宇宙は問いかけるからこそ答えてくれるもので、この現実を創り出しているものは私たちの意識と密接に関わり合っています。

この現実の裏側にあり、現象世界のすべてを生み出している領域に、通常の意識では私たちはつながりがあるように感じられません。しかし、この現実が目の前に現れる形で紡ぎ出される以前のプログラムの場、その可能性の領域に、私たちが「何を問い、何を求めるのか」、それだけが現実を意味あるものにすることができます。

心理占星術によるリーディングは多くの実用的な面があり、Yes/Noがはっきりしていることも特徴として挙げられます。

万物照応とは

マクロコスモスとミクロコスモスの双方のつながりを理解し、創造主と創造物との関係性、人間の本質を知ること、そして、私たち人間を理解するときに、大宇宙のすべての万物は人間のなかに照応物を持つとする視点のことをいいます。

人間である私たちは大宇宙の反映であり、逆もまたしかりです。一方に変化が及べば、もう一方にも及ぶ、この関係性に着目し、問題や悩みを抱えた人のリーディングを天の配置との照応関係でとらえ、本質的に今何が起こっているのか、質問への回答を導きます。

エメラルドタブレットの写真

エメラルドタブレット

上なるものは下なるもののごとし
下なるものは上なるもののごとし
この原理を知るものはあらゆる奇跡を起こし
現実を生み出す力を持つ

エメラルドタブレット
ヘルメス・トリスメギトスがエメラルドの板に彫ったとされる数行の文書。
この短い文章に、世界のあらゆる真実が含まれているとされる。

人生の根本価値から考える

もうひとつの方法は、深く内省し、誤った動機から選択をしてしまわないように、識別をしていくというものです。

「私の内なる心に触れ」、今までの生き方から脱皮して、より自分らしく生きるために、煩悩や不秩序に流されることなく生きていくための選択をします。

昔、世界は大衆をコントロールするために権威的なものを必要としました。それは悪いということではなく、各自が判断するだけの情報も得られなかった時代であり、大きなものを持ってこないことには統率がとれなかったからです。

しかし、現代ではコロナウィルスによって起こった影響をきかっけに、強制的にあらゆるジャンルでリセットがかかり、個人の目覚めが促されるようになりました。以前のように企業についていれば安全であるということはなくなり、日本の場合は、国が国民を守るだけの力がないことも露呈してしまいました。

これからは、個人が考えや認識を成長させていく、意識をアップグレードさせていくことが大切になります。自分が何者かを知る、という本質的な欲求に対して、寄り添うように少しずつ進めていくためのアプローチを、セッションでは行っています。

どのような困難な場面に直面したとしても、解決策は必ず自分自身の中にあり、そのようなときこそ人生においてもっとも大切にしていきたい根本価値に基づいて選択するときだと言えるからです。

何のために生きるのか

大切な選択をするときは、自分の人生や価値をしっかりと見つめなくてはいけません。

何をどう選ぶべきか真剣に考え、人生を歩んでいく中でそれを見つける場合もあります。本当に大切にしたいものがはっきりしているから選択ができるという時ばかりではなく、決意をして選択をしたときに、「あぁ、そうか。私はこれを大切にしていきたいんだ」と、大切にしているものに気づく場合もあります。このように、私たちは相互に補完し合いながら大事にしたい人生の目標をつかんでいきます。

人生の目標は、私たちそれぞれの根本目標です。言い換えれば、もっとも深いところにある本質、魂の意識、ヴィジョンです。
つまり、最終的に選んだものが、この根本目標に叶っていることがふさわしい選びだということです。

いくつかの選択基準がある場合は、より魂のヴィジョンに叶っているものは何か、スリルや満足、承認や人望、成功欲などは満たすけれども
最後に空しさしか生み出さない選択は何かを見極めていきます。

ここで注意をしなくてはならないのは、私たちは多くの場合、すでに選びたいものがあって、そこからどう生きるべきかについて考えようとしています。

例えば、「愛と平和を生き、人々のために自分の才能や時間を使っていこう」という根本目標の人が、向いていなけれど収入がよくて、仕事にも慣れていて安住できるからと
現在の仕事を続け、そのなかで根本目標を生きようとするとき、これは手段と目標を取り違えてしまっている、と判断します。

魂のヴィジョンを実現するために、その仕事と人々に関わり、心の豊かさを育み、愛と平和を生きるための人選をし、
奉仕をしていこうという選択でなければ、本当の選びにはならない、と考えます。

選択には、怖れ、欲、不安、執着、争い、罪悪感などが入ってくるので、心の痛みや傷を癒すとともに、自分に興奮と快楽、安心をもたらしてくれるものが、
実は悩みや不安定、緊張、不幸を生み出しているのだと気づくことが必要になってきます。

・人生の根本的な目標はなんだろう?
・人生で最も大切な価値は何だろう?
・死ぬときを想像してみて、後悔しない人生の選択はなんだろう?

非常に大切な選択のときこそ、人生で真に実現すべき目標を見つめて、それを実現するためにもっとも大切にしたい価値、
動機に初めにしっかりと取り組み、魂のヴィジョンからそれることのない選択をしていくことがとても重要です。

誤った選択の見極め方

私たちの頭の中には、属している文化や社会、伝統から受け継いだ思想や信念といったプログラムがたくさんあります。例えば、
「私がとても大切にしている物事がなければ、あるいはそれを手に入れなければ、私は幸せになれない」
「私が何とかして今の状況や周囲の人々を変えさえすれば、幸福が訪れる」

このような信念は、私たちを本当に幸福にするための選択に誤った影響を与えてしまいます。実は、自分の欲求や願望、そして人生に欠かすことができないと思われている価値観や態度にいたるまで、ごく基本的なことでさえ、決定したのは私自身ではなく、周囲の大人たち、属する社会、文化、宗教、過去の体験によって埋め込まれたプログラミングです。

そこから目覚め、気づきによって、誤った動機やふさわしくない動機を見分けていきます。

自分の満足、生活の安定、社会的地位や身分、これらを第一にした選択は、魂のヴィジョンとしてはふさわしくありません。時代が変わり、仕事やお金がアイデンティティの時代は終わりました。

その古い夢にいつまでもしがみついてしまうと、生きがいを感じられないまま、いくらお金や地位があっても死ぬまで幸福な人生を生きられない、そういう時代が本当にやってきたのだと思います。

心が自分本位な動機から自由になって、魂のヴィジョンに忠実になるほど、シンクロンニシティは起こり、導かれるように人生が展開していきます。選択をしながらも、大いなるものを信頼し、ゆだねて生きることができるようになっていきます。

選択にふさわしい時と状況

健康と病気について

重要なことを選択するとき、それにふさわしい自身の状況があります。

➀霊的な心の動きが活発である場合

霊的に癒されていて、自分を超えた大いなる存在に自らをゆだねられているとき。そこには信頼があり、信頼は自らの自信でもあります。力を感じながらも、自分が生かされていることを知っているので謙虚で、他者や世界に対しても思いやりや慈しみを自然に感じられる心の状態です。

また、霊的には荒んでいるのですが、それを試練と理解し、厳しい状態においても必ず抜け出せると気力を振り絞っているとき。荒みの原因は、主に病気やトラブルとして人生に現れますが、それこそが深い自身の本質からのメッセージです。

責任転嫁をせず、自分の思いや行為が原因で不安定やむなしさを招いているのだと気づいているとき。努力が報われなくても、報いを求める心から解放されたいと願い、真の満足感や充実感へと目覚めさせるために、霊的な荒みが起こったのだと悟ったとき。回復不可能な病や、変えることのできない状況を受け入れ、起こったことよりも自分がどうありたいかが大切だとわかったとき。

このようなときは、心が神へと向かう動きにありますから、世俗的な栄誉や豊かさにとらわれず、内なる声に呼ばれている方へ、本当に魂が満たされる方へ、歩んでいくための選択ができます。

※神という言葉に抵抗を感じる方は、「心の内なる指導者」「天地の創造主」「無限なるもの」「統一意識」など、ご自身にいちばんしっくりとくる言葉に置きかえてください。

心がより深いところで充足し、無限のスペースや愛をこの瞬間、体験している……インドの神秘家OSHOはそれを「ブッディ・フィールド」と名付けました。この世界をどう生き抜くかというサバイバルモードでは、誰もがうまく機能することはできません。内なる深みから、自己にとらわれない自己を超えた真実の想い、心の底から清々しさを感じる選択をしていけるのが、この状態です。

②心が平静なとき

心が荒んでいるときは、一方的に状況を悪く拡大して見てしまったり、生き残るためだけを視野に入れた選択をして、葛藤に導かれた人生を選びがちです。このようなときは、ふさわしい判断をすることが難しいので、まずは心が平静であることが求められます。

心が落ち着いて、穏やかなときは、選ぶべき対象について客観的に見ることができますし、魂のヴィジョンに適した選択をすることもできます。

ですが、私たち人間は心が完全に平静になるということはあまりありません。すでに、人それぞれに特徴的な偏りがあるものです。

ですから、自分がすでに特定の人に心が傾いていること、自分はチャレンジよりも安心と安定を求める傾向があること、プライベートな領域に触れられることを過剰に苦手としていること、繊細で傷つきやすいこと、何かをするときは情報をたくさん集めないと落ち着かない傾向があること、収入や見た目にとらわれやすいなど……自分が偏りやすいものにまずは気づくことからはじめてみましょう。

・自分がすでにとらわれているものがあるのなら、それは何だろう?

・どの程度、それにとらわれているのだろう?

・自分の幸・不幸を決定する権限を手渡してしまっているほどの人・もの・仕事などがあれば、それを書き出してみよう。

人間は弱いので、本当に実現したいものがわかっても、それのために大切なものたちを手放す勇気が持てません。永続する本当の喜びは、全面的になげうつところにしか恵まれないのだとわかっても……

とくに、真の生き方をしていこうとして自分を深く見つめたときに、自分をごまかしたり、本当の姿、臆病さ、我欲、所有欲を正直に認められず、言い訳をしてしまうことがあります。

だからこそ、私たちがどれほど弱く醜くとも必ず受け入れてくれる、きっと自分を見捨てないだろうと思えるような、無条件の愛を感じる場所が必要だと思います。

本当に叶えたいことを実現していくためには、魂の深みに降りていかなくてはいけません。その深みこそいのちの泉、霊的な孤独が癒され、自分や世界に対して平穏で寛大でいられるところなのです。

利点と難点から見分ける

心が平静なときに行える選択方法です。特に人生について重要な、自分自身のアイデンティティに関わるような選ぶべき課題をはっきりさせます。

・付き合っている人がいるけれど、その相手と結婚すべきか
・収入の安定している仕事だが、安心できる環境ではないとき、転職すべきか
・田舎に引っ越したてやりたいことがあるけれど、便利さや両親のことが気になっている

すでに惹かれるものはあるけれど、迷いを生じさせているふたつのパターンの両方にそれぞれ利点も難点もあり、心が揺れている状況です。

このような場合は、課題のひとつを取り上げて、その利点と難点を挙げていきます。そして、魂のヴィジョン・もっとも大切にしたい価値・目標と照らし合わせて、それぞれの利点と難点がもつ価値の重みから判断をします。よりふさわしい利点と難点を見分けていくようにするのです。

例:現在、安定した収入があるが望まない仕事をしており、仕事はストレスが大きく、人間関係もよくなり。その仕事に未来の可能性も感じていない。自立をして、人のために役に立つ仕事をしたい。愛と平和と安らぎの人生を歩んでいきたい、しかし借金もあり、家族のことも気になる、そのように願う人だった場合。

「安定した収入があり仕事にも慣れているので、自由な時間をつくることができ、将来のやりたいことのための準備ができる」「借金が返済できる」「家族を安心させることができる」こういった要素は、目標を叶えるための利点となるでしょう。

難点としては、平和と安らぎの道を歩みたいのに「お金を得るために大きなストレスを生じてしまう」「職場自体に安心感がない」「孤立無援で孤独」「思いやりや信頼よりも、経済的なことや世俗的なことを優先しなくてはならない」などがあてはまります。

利点・難点を整理してゆき、その中でもっとも理由のもつ価値の重みがあるものから選びます。どの程度、自分の実現可能なものとして適っているかなども、理由の重みに入ってきます。

こういった選択は、心が不安や怖れでいっぱいのときは、内なる声も聴くことができませんから、おすすめできません。

心が静かで、穏やかなときに、より自分の内奥にひびくもの、その理由がどれだけ重みをもってくるか、自分自身で真摯に考えなくてはなりません。

その選択をしたときに、心の奥に充足感や清々しさを感じられるか、自己を超えてとらわれない真実な想い、愛と平和、安らぎと他者を助けること、この道を歩んでいく選択として感じられるかどうかを確かめます。

そして、身体に症状が出るほどになっているのでしたら、やはり現状で変えられるものはどれほど魅力を感じたとしても、積極的に変えていく必要があります。そして、身体症状が全体として何をあらわそうとしているのか、そのこと知ることが必要とされます。

時に身体症状は「今の状態で人生を進めていった結果、死がやってくる」ことを教えてくれていることさえあるのです。

病気やトラブルには、本来自分が向き合うべきテーマが含まれていることが多くあります。「ただやりすごす」という選択をしないことがとても大切です。

自らを直視しないまま過ごしてしまうことで、依存や倒錯的な趣味などにエネルギーを注ぐようになってしまうことがあります。

なんとか立ち直ろうとしても、また一瞬の快楽にしがみついてしまう、そのような弱さや醜いと感じる自分を受け入れ、少しずつよい方へ変わっていくのは、簡単なことではありませんが、RINでは対話やセッションを通してサポートしていけたらよいと願っています。

欲望とのつきあい方

インターネットが発達し、かつてないほど意識の上でつながりあっている現代は、あらゆる意味で境界線が消えた時代です。

意識をどのように発達させていくかは各個人にまかされていて、昔のように、マスターや団体、文化が私たちの全的な成長を促してくれることはありません。何かを得たから、何かが起こったから、幸せになれるというのは幻想にすぎず、そのようなアプローチによるものがあったとしたら、それは欠けている部分にフォーカスをあて、その欠損部分を助長させてしまうものなのです。

人間は本質的に自由を追求する存在です。ですから、本質的な自由を生きることができず、自由に飛翔したいのに何かに執着し、しがみついている手が離せないのなら、私たちはいつまでも苦しい生き方を止めることはできません。

このしがみついているものは、財力、影響力、評判、賞賛や羨望の的になるための行為や物、仕事や人間関係、セックス、さらに“正しさ”というものも含まれます。

自分の人生を生きるための本当の動機がなんなのか、自分の願望や欲望を深く見つめなければならないのですが、なんらかの利益が得られると思うと、そのことがやがて失望や苦しみ、不公正を引き起こすとしても、自分にはこれが必要なんだと何らかの理由をつけて誤魔化してしまい、判断を誤ってしまいます。

禅僧ティク・ナット・ハンは、仏陀が用いた例えを紹介し、私たちに渇望が幸福を生み出すことはない、それどころか地獄にさえ向かってしまう可能性があることを教えてくれています。

仏陀は、釣りの餌と釣り針を例にします。餌を見つけた魚であるあなたは、それによって快楽と幸福がもたらされると考えますが、食いついたとたん、釣り針につかまって水の外に出されてしまうのです。私たち人間は、釣り針にかかる魚のようなものです。人間にとって魅惑的なもの、名声、セックス、権力、富、これらに誘惑され、食らいつき、逆に自分が食べられてしまうとわかっていても、抑えきれないのです。

渇望にふけることは死をもたらします。肉屋から小さな肉片を盗んだ小鳥が空に飛びあがったとたん、大きな鳥にその肉片を奪われそうになりました。小鳥はそれを放そうとしません。もし小鳥が肉片を手放さなければ、大きな鳥は肉を手に入れるために小鳥を殺すでしょう。小鳥はそれがある程度わかっていながら、それでもあきらめることはできないのです。

ティク・ナット・ハンは、気づきの実践と訓練を行うことによって、本当に自分が叶えたい望みの動機に基づいた選択ができるようになると言っています。そして、100%の意図を持ち、意志の力は思考・発言・行動を促し、人生の根本目標を成し遂げるようと、真に生きることが可能だと教えてくれます。

人によっては、それは難しいことかもしれません。ときに自分の知性が、抱いた願望が危険に導くと気づかせてくれていても、人の弱さは危険を承知しながら欲望に抵抗できず、知性の判断に反してそれらのことをやっていまいます。

何度も間違った選択をして、自身や周囲を傷つけてしまっても、もう一度新しくやりなおせるような、自己嫌悪や劣等感の中にある未成長の種に適切な栄養を与え、一番、自分がダメだと思っていた領域こそ人を助け、将来の喜びと誇りにしていくことができると、RINでは伝えています。

時には自分から距離を取って考えてみたり、死ぬ前に自分を想像して、本当にこの生き方でよかったと思えるかどうか、今のままの生き方をしていたら後悔するのではないか、そのような視点ももってみます。

元気なうちは、まだ執着がいろいろありますから、なかなかふさわしい選択ができなくてもあたり前です。ですが、死ぬ前にこの世のものに対して執着を強くもっている人はあまりいません。

どれだけ財産があり、多くの人に評価されているか、成功してきたかなど、そのようなことは相対化されて小さなものになっていくからです。

【心の闇を否定しない】

霊性の道を誠実に歩んでいきたいと思っている方でも、またとくに霊的な生き方を望んでいない方であっても、私たちは日常において、欲望や怒り、自分の罪を認められずどこまでも正当化してしまったり、向き合わなくてはならない真実から目をそらしたり、罪悪感や自己否定の感情を抱きます。

さらに、幼い頃から信頼して自分を明け渡す経験をもたなかった場合など、物や行為に頼って安心を得る依存という症状に陥り、その弱さの中で自分を否定し、自分の人生を惨めだと思ってしまうこともあります。

一度、向き合って改善したり、入院をしてよくなったりもしますが、立ち直ったと思っても再び繰り返してしまうという、どうしようもない弱さも含むのです。さらには、それが闇の現実にもかかわらず、その闇に寄りかかってしまう自分もいます。闇の根深さは、人をそこに安住させる力があります。そこから周囲の人や環境、社会や時代を責めたり、自分の弱さに甘え続けてしまうこともあります。

それは他でもない、自分がいちばん苦しい道ですが、癒されようと一歩歩み始めた人ならば、たとえ時間がかかったとしても、必ずそのような闇をもった自分も愛のうちに包まれていること、あるがままが肯定される場所、闇の奥から光が差すような体験をし、新しい道を見いだすことができると思います。

ですから、自分を責め続けたり、周囲を否定したり、闇にとらわれている自分に依存をするのではなく、そこから一歩でも魂の健やかさを生きられるように、日常のなかで自分を偽ることなく生きていけるように、建設的な気持ちになれるようなことをしていきましょう。

【依存(addiction)について】

依存とは、他の点では立派な人として正しく生きていたとしても、一つの点だけに引っかかって、それをなかなか乗り越えられない状態です。

例えば、タバコ、アルコール、食べ物、麻薬、猥褻、自動車、女性の場合には装身具等だけに強い愛着を感じて、自由でなく、それに関して奴隷になってしまいます。

病気や取り返しのつかない失敗に終わるときもあります。依存症は場合によって精神的、心理的な面あるいは身体的な面もあります。薬やカウンセリングだけで乗り越えようとしますが、なかなか成功しません。

カトリック教会にロヨラのイグナチオ(1491~1556)という人がいますが、彼はイエズス会という修道会を創立し、神からそらせる霊的な心の動きと、神とひびく霊的な心の動きを見分ける方法を編み出しました。それが『霊操』という黙想指南書にまとめられ、そこには依存から離れられない人たちを助けるために「三種類の人」という黙想が記されています。

依存症は、物や行為にとらわれる症状として表れていなくても、思考や感情の抱き方に中毒が見られる場合もあります。被害者意識、人を下に見ることで自らのアイデンティティを満たそうとすること、世間体を気にする姿勢、自分は無力だと思うことなど、誰にでもあってしかるべきものです。

このようなとらわれが自身の可能性を大きく制限してしまうのなら、祈りや瞑想、霊的なものに触れることによって、時間はかかっても少しずつ解放されていくことができると思います。

「三種類の人」の説明

例えば一億円ぐらいのお金を手に入れた三種類のタイプの人がいます。
イグナチオの例えですが、彼らはとらわれのない浄い心で神とつきあいたいし、選択をしたいと思っているのですが、
そのお金が神と自分との間に壁となって、はたして、自分が神の思し召しを純粋に果たしているか不安でずっと気になっています。

さて、この愛着を取り除くにあたって、三つの態度があるとイグナチオは言います。

第一種類の人々

浄い心で神とつき合いたいが、その執着を取り除くために具体的な手段を死ぬまで取らない。

第二種類の人々

神の前で平和でいられるように愛着を取り除きたいが、そのお金を手元にとっておいて手放すことをしない。
すなわち不偏心になって神が求めることを選ぶよりも、神の思し召しの方が自分の方に来るように下心で求めています。

第三種類の人々

そのお金を保つことにも手放すことにも、愛着がない。
そのお金を保つあるいは手放すことは、神が自分の意志を動かす通りにしたい。
言い換えれば、保つか手放すかの決定は、神により良く奉仕できる希望によってのみ行動したい。

イグナチオはただ、想像して聖なる神を初め、すべての天使と聖人の前で黙想し、その聖なる神の栄光と自分の完徳のために、役に立つものを選ぶように、それが恵みであると言います。

私たちが富や貧しさに対してこだわりのない心が持てないときに、煩悩や執着をなくすために、たとえ自分が抵抗を感じたとしても、み栄えである限り、主が実際の貧しさを選んでくださるようにと切に願う、このようなことは徹底した決断に絶え間なくあり続けることで、たいへん高い霊的生活の聖徳ですから、数年間で得られるようなものではありません。

人間は弱いものであり、またその弱さにできるだけ妥協しないように気力をふるい、厳しく裁いて責めるよりも、依存に苦しむ人に霊的な慰めが与えられ、周囲から深い理解とやさしい励まし、そして自分が心の闇をもっているにもかかわらず、神の愛に包まれていることに気づくよう、超越したものへの愛と親しみを強めることの方が、もっと効果的だと思います。

意志と確信

人生という冒険

純粋な意志と意図の力は、確かに選び取る力を与え、自分が定めた目標に向かって真っすぐに進んでいく推進力となる、とても大切なものです。

しかし、人間も世界も複雑なものですから、単純に意志を強くしなさいという言うだけでは、あまりに叡智に欠ける発言だと思います。

まずは自分が何者かということを知りたいという「神聖さ」、そして、この世界が自らの認識によって生まれているということ、そこから、ただ「目標を達成したい」ではなく、人生の根本目標・魂のヴィジョンに触れるために、目標達成の結果にフォーカスするのをやめて、動機の部分をモチベーションにすることの方が重要になってきます。

なぜなら、時代はもう個人の内的な永遠性を生きる時代になっているからです。そして、目標や結果にフォーカスしている限り、生きがいというのは簡単に失われてしまうものだからです。

自らの個性そのものである内なる永遠性に触れることができたら、そのヴィジョンを生きるために必要なのは、想いを抱き続けることでも、結果を強く念じたり、アファメーションを繰り返すことでもなく、そのヴィジョンが自分自身にとって疑いがないものである、確信をしている、ということです。

本当に叶えたいことを知ることは、どんな願いを実現するよりも難しいと言いますが、人生は自分の奥底にある本当の願いを叶えるためにあり、自分がほんとうに望んでいるものを知ったとき、今までの人生で起こったことがその願いを叶えるために魂によって導かれていたと知るでしょう。

そして、魂のヴィジョンを生き始めたとき、自身のあり様と現実の展開は重なり合い、毎日はシンクロニシティであふれ、無駄なことは何一つない、本当の豊かな人生を生きられるようになるでしょう。

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