この星で生きていく

インナーチャイルドの悲しみと痛みがあるからこそ、あなたに出会えてよかったと思います

インナーチャイルドの癒し

インナーチャイルドの癒し

 

もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたところで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ

(『小岩井農場』/宮沢賢治)

 

 

東京は午後よりずっと雨が降っています。

 

帰宅すると少し肌寒くて、木綿の長袖シャツに着替えたら、これがほのかに暖かいので、心に慈しみのような、やわらかい暖かいものに守られているような、そのような安堵感が生まれてきます。

 

最近は、心理占星術とディヴァイン・ヒーリングのセッションをさせていただきました。同じ悲しみというのは存在しないので、誰の痛みも悲しみも本当に理解をすることはできないのですが、同じものがないからこそお互いの悲しみは共鳴しあい、そして苦しみに向きあって乗り越えていこうとする、あるいは、苦しみのうちに留まろうとする、その営みを共有していることに、私自身はつながりを感じています。

 

セッションが終わって、ひとり静かにすごすときになると、出会えたことに対する喜びが湧き上がってきます。あなたに会えてよかったです。本当にどうもありがとうございます。

 

 

セッションでは幼少期の傷についてお話をすることが多くありましたので、私もあらためてインナーチャイルドの癒しを考えてみました。ほとんどの大人が子どもの頃の傷を持っていて、その痛みや悲しみに基いた行動を今でもしています。だから、世界にはこれほどの恐怖があるのだと思います。

 

全人類がほとんどすべて、苦しんでいます。では、苦しみとは何でしょうか?恐れや不安はなぜ癒えず、私たちはいつまでも傷を抱えているのでしょうか?

 

痛みや悲しみに向き合うのは勇気がいるプロセスです。その苦しみを味わいたくはないので、エゴは抵抗をして、苦しみを紛らわせるものに意識を向けさせるよう誘惑をしますが、真実を見つめる、これは今の時代にも、個人が行うインナーチャイルドの癒しにも大切なプロセスです。

 

そして、痛みや悲しみを深く、深く、探求をしていくと、やがて魔法のような完全に非論理的なヒーリングが起こったり、痛みを伴う感情からの解放が起こることもあります。その人がどのように自分自身を受け入れ、幸せに生きていくかはそれぞれですが、愛を受け入れることなしには、自己価値や自信、喜びを感じて生きることはできません。

 

そのことを、インナーチャイルドの癒しというテーマから探っていきたいと思います。

 

 

 

私たちは愛の欠如に敏感です

インナーチャイルドの癒し

 

愛を受け入れることや、自己価値の実感を持つことというのは、それほど簡単なことではないと思います。簡単ではないからこそ、人は周囲からの評価や承認、仕事の肩書、収入や学歴や容姿などといった外側のもので愛や自己価値を感じようとします。

 

本当に愛されている喜びを感じていて、自分には価値があるとわかっているのならば、何も持っていなくても、何を失ってしまっても、幸福のうちに日々を生きていると思います。

 

私たちが愛を受け入れられないのは、人間の中に一番深く刻まれている『自分は愛されるに値する人間ではない』という信念です。

 

これは人間をいちばん不幸にしてしまうメカニズムですが、自ら進んで不幸になりたい人間などいないはずなのに、なぜこのような“愛を拒む”メカニズムを持ち続けているのでしょうか?

 

両親や周囲の大人たちとの関係において、子どもの頃に悲しい体験をした人は多いと思いますが、それでもほとんどの人がとても愛されて育ったと思います。

 

私も母から「おまえは嫌な体験ばかり覚えている」と言われたことがありますが、私たちはあまりにも無限に愛さたい存在なので、たとえ十分すぎるほどの愛を受け取っていたとしても、与えられていない1%の愛の欠如に敏感になってしまうのです。

 

たくさんかわいがられたし、その思い出もちゃんとあるのですが、叱られたり、わかってもらえなかったり、他の子どもと比べられたり、欲しいものを買ってもらえなかったりした記憶の方が強く残っています。

 

大人になっても、理解されなかったり、居場所がない思いをすると、反抗的になったり、自分の中に閉じこもるなどして、子どもの頃の反応を繰り返している大人が多くいます。その場は大人らしく平静を装っても、心の奥に痛みを感じています。このとき抑圧した悲しみや怒りは、他のところで適切ではない形として発散されることもあります。

 

これほど私たちが愛の欠如に敏感なのは、愛を強く求めているからこそです。ちゃんと愛が与えられていても、自分が望む形で与えられないと自分は愛されていないと思ってしまいがちです。

 

子どもによっては、知らない大人が抱こうとしても泣き出してしまいます。それほど幼いときでさえ、すでに私たちは「愛の不信」を心に芽生えさせていて、自分に与えられた愛よりも否定的な感情の方を信じてしまいます。それぐらい、私たちの中にある「不安」と「疑い」は強いのです。

 

私も若い頃、好きな人の愛を試すためにわざと困らせたり、嫌な人を演じるときがありました。そうした私の表面的な演出はある意味、謎かけでした。理解されにくい私の心の無理解という壁を、表向きの嘘を見抜いて本当の私に触れてくれることを期待してやり取りをしていたのです。

 

心が成熟してきたならば、プライドを捨てて自分の思いを正直に相手に伝えるということができるはずですが、その頃の私はあまりにも未熟すぎて、そのように愛を乞うことしかできませんでした。

 

 

自分の本当の姿を知ったら、この人はとても私など好きにならないだろう……

軽蔑をして離れていくだろう……

 

 

自分の中にある否定的な感情や昔の過ちは、私たちが愛を強く求める存在だからこそ、人間を不幸にする「愛の不信」というメカニズムに落ちこませてしまいます。

 

そのときまでに相手からかわいがってもらっていたりしたならば、本当は軽蔑されそうな自分をこそ愛してくれる見捨てない揺らがない愛が欲しいと思いつつも、どこまで真実かわからない今与えられている愛を失うのが怖くなります。

 

成長の過程で築いてきた自己イメージが乏しいので、本当の自己価値の実感を与えてくれるはずの愛さえ拒んでしまうのです。

 

 

「感情」と「トラウマ」について

『感情』は思考の結果、つくりだされます。

 

思考は、意識的せよ、無意識的にせよ、過去の記憶から生じます。そして脳は現実と思考の区別がつかないので、思考から生じた感情に身体は反応をします。

 

「人は考えたとおりの人間になる」というヒンズーの教えがあるように、「物の考え方」はとても重要で、その人が成長をする過程で身につけた考え方は、その人独自のものであり、他人にはわからないからこそ気づくのにも時間がかかり、そして「物の考え方」「世界をどう認識しているか」によっては、神経症や病気の原因になることも多くあります。

 

大切な人を亡くしたり別離を経験すると、人は深い悲しみを感じます。それを取り除きたいと思うかもしれませんが、そこで問題が起きます。どのように対処をすればよいでしょうか?

 

また、怒りは「押しやる」「排除する」という非常にパワフルなエネルギーですが、怒りは表層の感情で、その下には悲しみ、傷、痛みが隠されている場合があります。

 

『トラウマ』は、完結していない感情のことをいいます。

 

トラウマになるほどの体験、たとえば肉体的な暴力や、突然のショッキングな事故、とくに幼いころにアイデンティティが脅かされるような体験をするとトラウマになりやすく、そのときの記憶は、その際の感情のサイクルが完結していないと物質としての身体やペインボディに残留物を蓄積していまうのです。

 

ペインボディとは?
古い過去の痛みからつくられた未解決の感情が、エネルギーフィールドの中に蓄積したことで起こります。非常に強烈なトラウマ的な出来事が起こったときに、感情を抑圧したりすることによって蓄積した痛みは目に見えないエンティティのように肉体と精神を支配し、怒り、破壊性、憎しみ、悲しみ、怖れ、鬱、感情のドラマ、暴力などの反応を生み出します。
ペイン・ボディからつくられる痛みや思考形態、態度と自分自身を一体視するようになると、それがアイデンティティやパーソナリティといった一連のものをつくり、ペイン・ボディが活性化するたびに本人のマインドや身体をのっとってしまうようになります。ペイン・ボディは、鬱、怒り、不安など、人によって現れ方は異なりますが、どのように具現化したとしても本人に痛みをもたらし、通常それが具現化するときは無意識状態であることが多いため、本人はペイン・ボディが具現化したものであるということを意識しているとは限りません。

 

「感情」と「思考」、そして「トラウマ的体験」はいずれも大きく私たちに影響をしていますが、どれも真実の私ではないことはわかっています。

 

では、さらに本当の深い癒しをもたらすためには、どうしたらよいかをみていきましょう。

 

※ペインボディについての詳しい説明はこちらをお読みください

感情のペイン・ボディを理解する

 

 

インナーチャイルドとは

インナーチャイルドについて

 

インナーチャイルドについて定義をすると、

 

すべての表現されていない、感じられていない感情を指し示すもの

 

このように言うことができます。それは、幼少期に抑圧したり、隠しておかなければならなかったものです。

 

私たちは普段、怒りや悲しみを抑圧します。なぜでしょうか?

 

どのような人も両親からの深い条件付けがあります。誰もが生まれたときは愛そのものでしたが、両親や世話のしてくれる人の愛がなければ生きていけない子どもは、自分の伸び伸びとした表現、パワフルな感情の放出、ワイルドさ、生き生きとした感じを抑圧して、周囲の大人たちの愛を受けようとするのです。

 

とくに男の子は「泣いてはいけない」と言われたことがあるかもしれません。「いい子にしなさい」「お姉ちゃんなんだからしっかりして」と、このように言われたことがきっかけで感情を抑圧するようになることもあります。

 

子どもとして必要だった大人たちの注意を得るために、多くの妥協をして生きてきたのです。その妥協によって多くのものを犠牲にしましたが、なぜその抑圧を受け入れたかというと、「ありのままの自分では愛されない」という恐れを感じたからです。

 

ですが、人間は無限に愛されたい存在だとお伝えしたように、ありのままの自分では愛されないという恐れがある以上、ほとんどの人のインナーチャイルドは多くの傷、古い痛みを持っています。

 

大人になっても子ども時代の傷を持ち続けるその理由は、「外側からの滋養と愛がなければ生きていけない」と深く信じているからです。

 

大人になった私たちは、なぜ「何か素晴らしいこと」を求めるのでしょう?欲しいものを手に入れたとき、人から特別に賞賛されたり、愛している人から抱きしめられたり……もちろんこれらは素晴らしいことでもあるのですが、このような「外側からの滋養と愛」を求める欲求は、実は幼い頃の体験がもとで、心の奥深くに根付いてしまった恐れによるものではないかと思います。

 

自分の心を何か特別なもので満たそう……それが霊的な体験であろうと、愛情、お金、成果、賞賛、お酒、食べ物などであろうと、普通とは違う「特別な」刺激で満たそうとしたとき、それが刺激である限り、私たちはやがてより強い刺激を求めるようになります。

 

そして、逆にこれらのものが何もない日常になると、わびしくつまらなく感じたり、寂しさや不安といった心もとなさを感じることもあります。

 

私は、何気ない平凡さの中に幸せや豊かさを感じるには、霊的な実践だけではなく、自分の中の傷ついた子どもに気づき、癒そうと手を伸ばすことが必要なのではないかと思います。

 

怒りっぽい父親、威圧的な母親、両親がいつもケンカをしていたり、養育の放棄したり……感情的に問題のある家庭環境は、子どもの繊細な感受性に有害です。もとより、子どもは自分自身を愛そのものだと認識しているので、なぜ家族のなかで愛が表現されないのかと戸惑ってしまうのです。

 

愛を受け入れ、自分の価値を堂々と祝福するのは容易ではないかもしれませんが、インナーチャイルドは「すべての表現されていない、感じられていない感情を指し示す」ものなのですから、私たちがインナーチャイルドの傷に気づき、勇気を持って向き合うことで、忘れられた感情を取り戻すことができます。

 

表現されなかった感情を感じていくために、弱い自分を受け入れることが、本当の深い癒しへとつながっていきます。

 

 

愛されない自分は、存在しないのと同じだ

最初に、多くの大人がいまだに子どもの頃の傷から行動をしていること、傷から行動するので世界中にこんなにも恐怖があるというお話をしました。

 

その恐怖のもととなる感情は、「自分は愛されていなければ、私は存在しない」というものです。

 

自分自身を振り返っても、子どものように反応をしていることに気づくことができると思います。自分はどんな子どもだったかを思い返し、幼少期の経験から何を今でも持ち越しているか、それを今でも何に投影しているのか。さらに見ていくと、大人になっても子どものように行動をしている自分に気づきます。

 

愛されていない恐れを経験したとき、人それぞれ異なりますが、私たちは一定の反応パターンをつくります。たとえば、

 

反抗的になったり、八方美人になる人
相手に気に入られることをして、愛を得ようとする人
引きこもって、もう自分を表現しなくなる人

 

さまざまですが、これらのパターンはそこに意識を剥けるまで続きます。感情の領域よりも深いところにある真実の自己に気づくまで、子どもの時と同じように振舞い、古い子ども時代の傷を再現するのです。

 

私たちの意識の奥底には、あらゆる恐れが種になって埋もれているのですが、私たちのエゴは恐れに浮かび上がってこられると嫌なので抵抗をします。そこで抑圧が生じます。苦しみを奥底に押しやり、ネガティブなエネルギーが現われないようにし、気を紛らわせること、知事的な快楽やおしゃべりや、買い物や飲食、インターネットやテレビを見たりなど、ほかのエネルギーを招き入れて一時的に気を紛らわせるのです。

 

ですから、ヒーリングとはネガティブな感情をオープンにしていくので勇気が必要なのですが、実は一時的に紛らわさてくれるものの誘惑にのってしまうことの方が、自滅作戦を遂行していることになります。自分のなかのネガティブな種を見て見ぬふりをし、拒否し続けるなら、やがて悪循環がはじまってしまいます。

 

私は苦しさや無力感、虚しさを消すために依存症になりました。もちろん、その時はそうすることでしかその場を生き抜けなかったのであり、病気を責める気持ちはありません。ですが、依存症の怖いところに依存しているものを得るために今度は働くようになります。これはとても苦しい悪循環です。

 

意識も血流と同じで、ちゃんと循環ができないと、鬱やストレスとして心に症状が現れてきます。

 

どんな情けない自分も、弱くても、愚かでも、いい子でなくても、なにもできなくても、醜くても……自分は無条件に愛され、祝福されているということ、外側のもの(人や仕事、評価や健康など)に認められなくても、愛されなくても、必要とされなくても、恵まれなくても……自分は自分を肯定し、すべてを受け入れ感謝し、愛されていることを感じられるまでは、痛みの悪循環は止まりませんでした。

 

 

真の深い癒しによる変容

痛みの伴う記憶が蓄積されるには、たくさんの様々な道筋があります。

 

霊的な実践は、瞑想や祈り、直接的に体験したことを洞察するなどのことによって、感情や思考と自分を一体化することがなくなり、私という存在がそれらに気づいている意識そのものなのだとわかるようになってきます。

 

私は生きている、ですが、それは本当は、永遠なる魂あるいは内なる神、一なるもの……が、私を生きているのだ、そう感じられたとき、私は痛みや苦しみ、思い込みによる乏しい自己イメージから抜け出て、体験しているものをそのままに認め、私を通して働こうとしている神の御心は何だろうかと意識するようになってきました。

 

古い痛みを感じ、勇気を持ってその痛みに深く入っていくと、やがて完全になにもないスペースに入っていき、その無を拒まなければ私たちは本来いた場所へと溶けていきます。魂の癒しが起こります。

 

 

悲しみがあるから生きていける

どれほど無条件の愛に触れても、人間である限り私たちは様々な不条理の中で生きていくことには変わりはありません。

 

ですから、私たちが完璧に癒されるということはありませんし、それは不毛なことだとも思います。なぜなら、悲しみは固有の体験ですが、独り悲しみや苦しみを深く味わうとき、その時に心は時空を超えて深く他者とつながることができます。

 

宮沢賢治は悲しみがあるからこそ生きていけるということをよく知っていた人です。

 

セラピーや暖かい人間関係によって癒されるときもあります。それでも、どれほど淋しくないと強がってみても、淋しさは必ずまた襲ってきます。闇に覆われ、光を見失い、どん底を味わうこともあるでしょう。

 

苦しいときに劇的に介入してくれる神などおらず……奇跡的な解決を夢想していた頃も終わります。

 

それでも渦巻く不条理と理不尽の只中で、現実をあるがままに受け入れ、自らのもっとも根源的なところに神の愛を見いだそうとし、その神の愛を信じることができたなら、私たちはどれほど困難なときも建設的に生きていこうと取り組める、成熟した人間に成長していけるのだと思います。

 

もし完全に癒されるというようなことがあれば、私はもう誰も何も求めることはないでしょう。音楽や詩に触れて涙を流すこともないでしょう。

 

悲しみや苦しみを「悪」とせず、それを背負っていく生きていくとき、この世界にともに苦しむ人たちがいることを思い慈悲の気持ちが芽生えてきます。

 

私の中にはいつも不安な子どもがいて、だからこそ、あなたに出会えてよかったと思うのです。

 

 

Sitara

 

 

わたしは傷をもっている
でも その傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる

星野富弘「れんぎょう」

 

その傷のところから あなたのやさしさがしみてくる

 

 

 

関連記事一覧

  1. ディヴァイン・ヒーリング・マスターキー 病原体と微生物のチャート
  2. ホログラフィックな脳
  3. バイロンベイのベジタリアンキッシュ
  4. どのようにして魂の断片はできるのか
  5. 量子力学
PAGE TOP