この星で生きていく

肺に咲く黒い花と宮沢賢治のコロナ予言

魂の意識へと通じる神秘の扉
Lhiannan|Shee & 伊豫田晃一 二人展《美しきクロエの寝室》

Lhiannan|Shee & 伊豫田晃一 二人展《美しきクロエの寝室》のポストカード

 

古の賢人たちが予言していた未来があります。

たとえば神の啓示の書である旧約聖書には、イズライリの人たちのうち神に忠実な人たちの何人かは、自分たちの時代には神の契約は成就することはないことをわかり始めていたとあります。

そして神の選民として招かれるためには、「肉によるイズラエリ人」ではなく「霊によるイズラエリ人」であること、世界の彼方に存在する神の国を実現するためには、堕落したこの世の秩序が徹底的に再建されなければならない霊的な王国であることが語られています。

 

思い返せば私自身も、昨年受けていた講座がすでに「新しい時代へ向けて意識をアップグレードする」という意図がなされてたことに気づきます。

そして到来するかもしれない、メルケル首相のブレーンであるジェレミー・リフキンが唱える「シェアリング・エコノミー」の時代は、私たちがインターネットやVRを発達させることで成立する超効率化社会です。生きるために働く必要性がなくなり、衣食住といった必要なものは支給され、知覚や意識を拡大された人類は広大なインターネットの海で交流し、個性をシェアし合います。

自らの魂のビジョンといった永遠性を溢れ出させるままに表現することが可能となり、資源を搾取する必要もなければ、権威主義や格差もない霊的な時代です。

 

このような時代を世界中の賢人たちが予言していたのです。

今日お話しをする宮沢賢治もそのひとりではないかと、ふと思い立ったひとつの詩があり、ここ数日そのことを考えていました。単なる妄言ではないかと思われるかもしれませんが、ファンタジーでも読むつもりになって気軽に見てください。

 

「サキノハカ」という謎の黒い花

サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやってくる
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である、
諸君はこの時代に強ひられ率ゐれて
奴隷のやうに服従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宇宙は絶えずわれらに依って変化する
潮汐や風、
あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
(『生徒諸君に寄せる』[断章五]/『校本宮沢賢治全集第六巻』より)

 

この『生徒諸君に寄せる』という一連の詩を私が学生の頃に読んだときには、精神を宇宙のはるか高みにまで昇らせるような、帆に風をばんばんに受けて未知の大陸に揚々と出発するような、言い尽くせない高揚した気持ちに酔ったことを覚えています。

数日前に読んでいた本に宮沢賢治の話が出てきたことがきっかけでこの詩のことを思い出しました。ですが賢治の詩や童話には好きなものがたくさんあるのに、なぜこの詩が瞬時に頭に浮かんだのでしょう。

しかも、研究者の間でも謎だとされている「サキノハカ」という花の名前がまっすぐに浮かび、その後に詩の内容を思い出して、「賢治は霊覚者だから、アカシックレコードにつながって、起こる可能性のある未来として私たちが今体験しているこの状況を情報として得て詩にしたのではないか」、そのように思い改めて詩を読んでみたのです。

 

もちろん後付けでいくらでも状況をあてはめて「これは予言だ」と言うことはできます。とくに暗号めいた詩の形をとっているほど、それは容易になるでしょう。

実際に、賢治がこの詩を書いた時代は労農党の活動の絶頂期で、より暴力的な政治抗争に扇動するために全力をあげていて、ゆえに「サキノハカ」は「暴力」の象徴なのだという意見もありますし、近年の人間による愚かな行為をあてはめて時代を言い当てていると感想を書く人もいるようです。

しかし、「サキノハカ」が闘争という暴力の象徴であるという意見には素直にうなずけないものがあります。『農民芸術概論綱要』にて賢治はこのような言葉を残しています。

 

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である

 

これほど明晰な宇宙観があり、無限と有限の間にあるあらゆる可能性の領域にクリアな思考で問いただすことができた賢治ならば、「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という理想、「霊による人類」となり、この世の堕落した秩序が徹底的に再建されるのは、自分が生きている今の時代ではないことがわかっていたと思います。

これから迎えるだろう霊的な時代は高度経済成長によって科学技術が進歩したという土台があるからこそもたらされます。高度経済成長は昭和29年にはじまりますから、賢治が夢見ていた世界はこの詩を書いた時よりかなり後にならなくてはもたらされません。

(宇宙意識の観点からすれば賢治はスターシードですから、長い時間の感覚をもって生きていたはずで、ならば数十年など大して長いと感じないかもしれません。スターシードの視点からの詩の解釈は別の記事でしようと思います)

 

綱要の結論にはこのような言葉があります。

 

……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である

 

四次芸術を自分と他人を完全に愛することを学び、進化の意志を持つ人々と共に道を歩もうとする意識だとすれば、私たちはもうこの次元に入っていて、今はさらに次の段階に移ろうとしています。次の意識段階は自ら望む肉体を形成できるとされますが、イメージの具現化かもしれませんし、VR上で望む自分に感覚を伴ってなることかもしれません。

各所で賢治は自分の生きている時代の科学は未だに暗く、自殺と自棄のみしか保証しないと言っていますが、それは科学技術がまだ未熟であるということだけではなく、人間が「核兵器」のような無差別に人を殺しうる兵器を創造するような意識、人間の超えたものに対する畏怖の感覚の忘却、このような段階に在る限り科学は未だ暗い、そう言っているのではないかと思います。

 

こういったことからも「サキノハカという黒い花といっしょに革命がやってくる」というのは賢治が生きていた時代のことではなくて、コロナウィルスの蔓延のことではないかと考えてみました。

私にそのように思わせた原因は他にもあります。それはボリス・ヴィアンの『日々の泡』という小説で、クロエという女性が肺の中に美しい睡蓮を咲かせて死んでしまうのです。

この話は恋愛小説ですから美しい睡蓮であることが悲痛さを増しますが、時代を根底から覆し、多くの人が亡くなり、路頭に迷い、社会に混乱をもたらすきっかけとなった肺に咲くウィルス……謎めいた黒い花と表されたものにあてはめようと思い至るのは難しいことではありませんでした。

 

 

新しい時代は新しい人間を鍛える

『生徒諸君に寄せる』以外にも「サキノハカ」が読まれた詩があります。

 

一〇五六 [サキノハカといふ黒い花といっしょに]
サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやってくる
ブルジョワジーでもプロレタリアートでも
おほよそ卑怯な下等なやつらは
みんなひとりで日向へ出た茸のやうに
潰れて流れるその日が来る
やってしまへやってしまへ
酒を呑みたいために尤もらしい波瀾を起こすやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分をくらべるやつらも
そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ
それらをみんな魚や豚につかせてしまへ
はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ

 

経済主義や強いリーダーシップを中心に据える社会構造は奴隷制度を元にしているので、強者がいれば弱者をつくり、成功者がいれば失敗した者をつくります。

賢治がこの詩で歌ったような思いを抱いたことがある人は今までの時代にもいたはずですが、それでも社会の構造を変えることはできませんでした。資本主義ではいけないと思った人たちが学生運動などしましたが、テクノロジーが発達していない段階で「共産主義にしよう!」と立ち上がっても実現は不可能でした。

時代が熟し、技術や経済もあるていど高まった今、経済はストップし、働き方、教育システム、自然との付き合い方など、あらゆる領域で価値感もあり方も急速に変わろうとしています。

これは先に挙げた『生徒諸君に寄せる』の「諸君は時代に強ひられ率ゐれて 奴隷のように忍従することを欲するか」「むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ」「あらゆる自然の力を用ゐ尽すことから一足進んで」という言葉にも表れています。

さらに断章二には、これからの子どもたちが体験する現実は、大人たちが体験してきた現実とはまるで違っていることを指し示すかのような言葉が並びます。

 

彼等は百の速力をもち
われらは十の力を有たぬ
何がわれらをこの暗みから救ふのか
あらゆる労れと悩みを燃やせ
すべてのねがひの形を変へよ

 

敏感な幼い子どもたちは意識できなくても、今社会で飛び交っている情報よりも全体で何が起こっているのかを深い部分で体験していて、やがて若い人ではないと国を動かせなくなる時代に向けて内側で準備をしているのだそうです。

今10歳ぐらいの子どもたちが大きくなる頃には、エネルギーの枯渇問題は完全に解消され、必要なものは支給され、そのため生きるために働くという概念がなく、経済はシェアリング・エコノミーに変わり、教育はその人がどのような傾向性を持ち、個性を花開かせていけばよいかというものになっているという予言があります。

他の未来を望む人がいたとしても、このコロナの影響はそうならざるを得ないだろうという状況をもたらし、たとえプライバシーがなくなってもそれでしか進めない未来があるのだとしたら、その未来に向けて大人たちは暗闇から救われなくてはなりません。

では何が私たちを暗闇から救うのでしょうか?

 

個性の優れる方面に於いて自らの永遠性を放出せよ

魂の意識へと通じる神秘の扉

 

今まで私たちに疲れと悩みをもたらしていたもの、あらゆる信条体系、イデオロギー、思い込み、価値感、執着、貪欲などの条件付けから解放されることで暗闇から救われることができます。

そして、「所有」することを欲する願いの形を変えていくことではないかと思いました。

 

そうせざるを得ない状況になり、インターネットに活動や娯楽の場を移した人たちがたくさんいます。そして映画や音楽など無料で楽しめるメディアも増え、経済的に豊かな人たちや、裕福さは普通でも助けたいと思う人たちが寄付をしたり、時間や体力を困っている人たちのために使う人たちも多くいます。

こうして少しずつ私たちの「所有」という概念は変わっていくのかもしれません。

 

『農民芸術概論要綱』より、新しい時代の人類に求められるものは何かを探ってみましょう。

 

……われらのなかで芸術家とはどういふことを意味するのか……
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだろう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億もの天才も併び立つべく敢て地面も天となる
(「農民芸術の産者」より)

 

生きるために働き、お金を稼ぐために需要に応えるものを何の喜びもなく創作するのでなく、自らの魂のヴィジョンたる内なる永遠性をただ「そうせざるを得ないのだと」いうほど自然に放出させ、積極的に世界に関わっていく、そうであることが可能な時代には生活は恐らく保証されているだろう。

食うために創作し続けなくてはいけないと追い立てられる必要もなく、アウトプットがひと段落したならば、再びひとり沈黙の内に帰り、好きなものを吸収し、陰の時期をすごせばよい。

 

まるでそんなふうに言っているかのようです。

賢治は未来圏から吹いて来る透明な清潔な風を感じていました。

私たちは新しい人類へと進化しようとしている子どもたちのプロセスを邪魔しないようにしなくてはいけないし、私たち自身も、力や物やプライドを「所有」することで自分の無力さを埋めようとするエゴの声に忍従することをやめて、真実の自己が表そうとするもの、見たいと思う世界の変化に自分自身がなっていかなくてはいけないのだと思います。

 

次回は「サキノハカ」という言葉を賢治のスターシード的な感性から考えてみたいと思います。

 

 

Sitara

 

 

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